親になるとは、許されることを学ぶこと

 朝日新聞6月13日の朝刊の「折々のことば:鷲田清一」に「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。(三砂〈みさご〉ちづる)」という言葉があった。その解説に、親はよくまちがう。よかれと思ってしたことが子どもを傷つけた、痛めつけていたと悔やむことが本当によくある。だから欠点だらけの「私」を許してほしいと祈るような思いでいると、保健学者は言う。子どもから許しを得ることで、自分の親も「まちがいだらけで欠点だらけのただの男と女だった」と許せるようになると。『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』から。
 いつもいつも子どもの前で、親として正しくなければいけないと気をはっている必要はないと私も思う。とはいいつつ、「でも」「だって」といわれると腹が立つ。自分が間違えるかもしれないという存在だと考えて、子どもの言葉に耳を傾けられる大人でありたい。
 もう一つ、自分は間違えないという傲慢不遜な人はお付き合いを遠慮したいが、こういう人こそ世の中を変えていける人ともいえる。織田信長やナポレオンなど、自分の戦いの犠牲になる人たちのことを考えたら、あれほどの戦争はできないはずだ。それができてしまう。その自分の目標にまっしぐら、真似できないが、そういう人も世の中には必要だろう。反対に、周りに気遣いすぎて疲れてしまう。それでも困る。
 人としてのバランスが大切だと思う。それも、地域や歴史や風土によって若干違ってくるとは思うが・・・今いる日本の価値観が絶対というものではない。