「羊と鋼の森 宮下奈都」を読んで

 「羊と鋼の森 宮下奈都」 20251211

 を読んで考えたことを以下の点にまとめてみた。これは、ガイダンスカウンセラー研修で、新井肇先生が(2)「児童生徒が『いじめをしない、許さない人』に育つための学校づくり」の中で紹介されていた小説だ。

 

 1点目は、「本当にやりたいことを見つける」で紹介されていた箇所だ。そこを引用する。これって私たちのこれからの人生に役立つと思う。

P125

「調律にも、才能は必要なんじゃないでしょうか」

 思い切って聞くと、柳さんは顔をこちらに向けた。

「そりゃあ、才能も必要に決まってるじゃないか」

 やっぱり、と思う。必要とだと言われて逆にほっとしたくらいだ。今はまだその時じゃない。才能が試される段階にさえ、僕はまだ到達してない。

 僕には才能がない。そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。でも調理師に必要なのは、才能じゃない。少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。そう思うことで自分を励ましてきた。才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきめる口実に使うわけにはいかない。経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもの出置きかえよう。もしも、いつか、どうしても置きかえられないものがあると気づいたら、その時にあきめればいいではないか。怖いけれど。自分の才能の無さを認めるのは、きっととても怖いけれど。

才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似ている何か。俺はそう思うことにしているよ」

 柳さんが静かに言った。

 

 長々と引用したが、才能とか云々する段階に来ていないのに、才能がないとか言っても始まらないと私も思う。調律師という世界をよく知らないうちに私は才能がない、音楽の素養がない・・・そう諦めている。そのまえに、今はピアノが弾けたらいいなとは思うけれど、進んでやってみようとはしない自分がいる。だって、人生の時間は有限だから。好きなことややりたいことをどんどんやっていこうと思う。

 でも、まだ何も見つけていない人には、考えてほしい。自分には才能がないと本当にわかるまでやってみたいこと、好きなことを突き詰めてほしいと。もちろん、とことんつき進めるのも才能の一つだ。

 昔、確かリクルートのCMに

子供に夢を託すな、子供に夢を託すな

言い訳探し 諦めたふり 大人も自分を生きろ

子供に夢を託すな、子供に夢を託すな

先が見えてるだなんてうそうそ   大人も自分を生きろ

本当はあるだろ、やりたいことが  自分のことまず考えてゆけよ。

このままでいいやだなんて ぶっちゃけ 思ってないくせに 

タラれば語る元気あるだろ 

大人も夢を見ようぜ 本当はあるだろ やりたいことが

本当はあるだろ なりたい姿が 自分のこととまず考えてゆけよ 

あるだろ 次が、ネクストが 

この本に出合ったら、もう一度自分の可能性に向き合ってみたいと思うだろうか。

 

 2点目は、人生の中の出会いと決断の大切さか。出会ったのに決断できなくて逃したことがなんと多いことか。後にしておこう、自分には・・・なんて躊躇している間に逃してしまったことのなんと多いことか。

 偶然に、調律師板鳥の案内をすることになった外村。

 

 調律師が、鍵盤を叩いた、その時の描写 P6

 森の匂いがした。夜になりかけの、森の入り口。僕はそこに行こうとして、やめる。すっかり陽の落ちた森は危険だからだ。昔、森に迷い込んで帰ってこれなくなった子供たちの話をよく聞かされた。日が暮れかけたら、もう森に入っちゃいけない。昼間に思っているより、太陽の落ちる速度は速い。

 

 そして「弟子にしていただけませんか」と直訴する。何かを決めて進まなければ、何も始まらない。やりたいな、やってみたいなと思っているだけじゃ何もできない。そしてすべてのことはやればやるほど暗闇に落ちていく。それが嫌なものは、勝手に自分を納得させる言葉を吐く。「結構いい線言っている」「自分のなかなかのものさ」そして、下のものを見下す「まだまだだ。俺を見習え」

 もちろん趣味かもしれない、それならそれでいい。誰とも比べなくていい。自分が輝いているというものを持ちたいだけだ。いつもそれを自分に問いかけよう。

 例えば、この作者 宮下さん だって、まだまだ上がいることは分かっているだろう。でもだ、自分の思いを表現して社会に伝えたい、作品を読んで感動したり、影響を受けたりしてほしい、その夢があるのだろう。唯一無二の夢があればそれでいい。

 

 3点目は、出会いの大切さだ。外村は、江藤楽器の先輩たちとそして双子の姉妹にであった。真剣に生きている人たちとの出会いは、人生の宝物だ。出会うためには、自分んも今を真摯に生きていないといけない。いい加減な生き方からは、いい加減のものしか生まれてはこない。映画では 上白石姉妹が演じたそうだが・・・

 

 以上、まとめると、①本当にやりたいこと、②人生の中の出会いと決断の大切さ、③出会いの大切さ、の3点である。もうちょっとまとめてみたいが、次にやりたいこともあるので今回はここまで。

小学校 〜それは小さな社会〜をみて思ったこと

小学校 〜それは小さな社会〜

                          をみて思ったこと

 私たちは、いつどうやって日本人になったのか――。

 このドキュメンタリー映画の舞台は小学校。コロナ禍で学校行事の是非を議論する教師、成長する児童たち。新年度に向け、責任感や達成感、誰かのために行動する喜びを学びながら進級を迎える―。

アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門ノミネートの山崎エマ監督が紡ぐ、ありふれた公立小学校の日常がもたらす新たな気づきの物語。

(国際共同制作 NHK / Cineric Creative) 【99分】

 <作品情報> 内容時間:1時間39分 (英題:The Making of a Japanese) 〔プロデューサー〕エリック・ニアリ 〔監督〕山崎エマ 〔撮影監督〕加倉井和希 〔録音〕岩間翼 〔音楽〕パイビー・タカラ (2023年・日本・アメリカ)〔日本語/カラー〕

 

 日本の公立小学校に通う1年生と6年生の学校生活を春夏秋冬にわたって描いたドキュメンタリー。

  4月、入学したばかりの1年生は挙手のしかたや廊下の歩きかた、掃除や給食当番など、集団生活の一員としての規律と秩序について初めて学ぶ。そんな1年生の手助けをするのは6年生で、子どもたちはわずか6年の間に自分が何者であるかという自覚を持ち、6年生にふさわしい行動をとるようになる。コロナ禍で学校行事実施の有無に悩み議論を重ねる教師たち、社会生活のマナーを学ぶ1年生、経験を重ねて次章への準備を始める6年生。3学期になると、もうすぐ2年生になる1年生は新入生のために音楽演奏をすることになる。

 イギリス人の父と日本人の母を持つドキュメンタリー監督・山崎エマが、公立小学校で150日、のべ4000時間にわたる長期取材を実施。掃除や給食の配膳などを子どもたち自身がおこなう日本式教育「TOKKATSU(特活=特別活動)」の様子もふんだんに収めながら、さまざまな役割を担うことで集団生活における協調性を身につけていく子どもたちの姿を映しだす。教育大国フィンランドでは4カ月のロングランヒットを記録するなど、海外からも注目を集めた。

2023年製作/99分/G/日本・アメリカ・フィンランド・フランス合作

配給:ハピネットファントム・スタジオ    劇場公開日:2024年12月13日

 

「さまざまな役割を担うことで集団生活における協調性を身につけていく子どもたち」か、確かにそうだ。私は、今の教育に悲観的な見方しかできないから、批判的に見てしまった。まず、良いところに目を向けよだ。3点よかった点を挙げてみる。

 

 1点目は、それぞれの家庭で、入学の準備をしているところだ。返事の仕方、新しい机にランドセル、お盆の運び方まで・・・入学前の準備の「はっきりハイと返事ができるようにしましょう」何もでもない!!入学前の子たちが小学校で学んで日本人になるんだ。入学式、母親との愛着関係ができていれば「ママ、行ってきます」と離れていける。こういう家庭での親の思いをいつも念頭に置いていないといけない。保護者はその子の一番の専門家で、一番長く付き合っていくことになる伴走者でもある。

 

 2点目は、 教室の先生と子どもたちの営み。

「手をあげるときは、手と耳をくっつけます」

「いいあやめさん」「はいっ」「素晴らしい!」その子だけ?他にもいい子はいたけど・・・また「ゆうたろうさん」適当に手をあげたが先生はスルー・・・よくあることだ。本当に日常だ。

「自分たちが過ごす教室は、自分たちでそうじします。」「みんなが気持ちよく過ごせるように責任をもってきれいにしましょう。」・・・先生の見本、ほうきの向きが逆では・・・「責任」って伝わっている・・・?やっぱり日常だ。これっていいことだ。勝手に脚色していない点がだ。いっぱいエピソードがちりばめられている。これって岐阜でも同様だ。日本中同じようにドラマが繰り広げられている。

 

 3点目は、日本の小学校は、6年生になる、なったのではない、なっていく仕組みや仕掛けがあるのだ。

 6年生から見た1年生「また元気のいい奴らが揃ったな」「うちらってあんなにちいちゃかったけ?」「え、うんそうだよ」そういう視点で見られるまでに成長している。 

「6年生考えてやってみたことに、失敗はないのでどんどん挑戦してみてください」

1年生のお世話をする仕事を通して6年生としての自覚を高めていくんだ。

 ここまで成長して、中1でまた・・・勉強の難易度も学校の仕組みも変わっていく、それについていけない・・・中1ギャップ どうする???

 

 ところで、「教育大国フィンランドでは4カ月のロングランヒットを記録するなど、海外からも注目を集めた。」ということで、日本の教育が優れているとは言えないと思う。確かに、GNP世界4位、PISAだって高得点だ。そして犯罪率の低さでは先進国トップクラス、社会保険や年金制度も完備している。識字率はほぼ100%だ。そして長寿国だ。これも安定した教育システムが、営々と運営されてきた成果だと思う。先進国で一番働き者の先生方が頑張ってきた成果だと思う。現場がだ!これは素晴らしい拍手!!

 しかし、その体制に綻びが出始めている。いや顕在化してきている。それがこの映画でも現れてきている。以下その点を3点考えてみる。

 

 1点目は、人間を作る段階で、一人の人の影響が大きいというのはちょっと危険かなということだ。あれもこれもと、ひとりのが担任やってしまう日本の小学校。つまり学級担任の影響が大きいと私は思う。 もちろん 両親・家族の影響、これはいた仕方がない。だから、初めて会う家族以外の大人としての担任は、多様で複数の方がいいように思う。日本の小学校の仕組みは、担任に負担を全面的にかけている。働き方改革が進まない、教員の希望者が減っていくのは否めない。しかし、もっともっと教師は周りに頼っていいんだよ。また管理職も担任任せにしない、チーム学校を築くんだ、そういう学校社会になっていかないと、多様性を持った人間はできないんじゃないかな。

 同様に、日本の中学校も日本人の人格形成に大きく関わっているのではないだろうか。空気読むとか、集団で行動するとか、周りに合わせるとか・・・

 

 2点目は、日本中の学校がどこも似たようなことをしている画一化が心配だ。この映画って、全く普通の学校を撮影している。本当に普通だ。普通の学校の日常を映し出しているという感じだ。振り返って、ほとんど私も同じようなことをしてきた、と思う。日本中で、同じようなことをしているんだということが実感できた。これって怖いことじゃないかな。岐阜も東京も変わらないんだ、愛知もだ。

 おそらく監督は、小さな感動の積み重ねが日本の学校なんだと言いたいのだろう。でも、世界の学校だって同じじゃないかな。それよりも怖いのは 日本の学校って日本中で同じことをやっている  だから均一の人間になっていく。やっぱりちょっと怖いな もっとバラバラで色んな観点から物事見れる人、いろんな感動がある学校

 

 3点目は、画一的な教育は怖いなということだ。「さまざまな役割を担うことで、集団生活における協調性を身につけていく子どもたちの姿」とあるが、集団に合わせる教育になっていないか。「空気を読め」その集団が社会集団に広がっていくとき、社会の画一性の息苦しさ、そこからはみ出すものへを疎外する社会。

 小学校では、まだいろんな先生がいる。それがなぜか、中学校、結構管理統制型になっていく。思春期って、管理されて均一性を求められることって難しいんじゃないかな?だってアイデンティティーを一旦確立する時期の第一段階なんだから。その時にみんなと同じとかじゃなくて自分で自分らしくという生き方がないと、それを認めてもらう社会じゃないといけないんじゃないかな。だから、日本っていじめや不登校・若者の自殺が多いのではないかな?インクルーシブ社会、なんて言っていながらできてない。建前だけのインクルーシブなんて、ダメだ。

 さあこれからどうする?そうかまず、学校の先生から、個性を出すことだ。自分の言いたいことを言う、やりたいことをやる。そういう人たちを選んでいかなきゃいけない。それなのに 個性が飛び出してはだめな社会、学校なんだ。

 

 日本の学校について、世界の人たちに学んでもらえることはたくさんある。反対に学べることもある。日本の先生は、学びの視野が狭いと思う。やれ研究だ、新しく指導要領の改訂があるから、変わらなければならない、教科の教える内容が増えた・・・駆け足で進めないとでもテストの点が悪いと・・・オーバーカリキュラムの問題だ。

 

 言いたいことはいっぱいあるが、今回はここまで。

 

朝日新聞 記者サロン「留日・潤日 中国の人々はなぜ日本をめざすのか」202511 をみて考えたこと

 朝日新聞 記者サロン「留日・潤日 中国の人々はなぜ日本をめざすのか」202511

をみて考えたこと   11月24日

 

 この国初の女性首相高市さんの台湾有事についての国会答弁の影響で中国とトラブルになっている。トラの尾を踏んだって感じかな。台湾に関しては微妙な問題がある。それは米国に追随して日本も、台湾を見捨てて(?)中華人民共和国を中国の代表と認めたことだ。近くにあっても謎の多い中国という国、少しでも知りたいと思って参加した。以下、その学びと私の考えを織り交ぜて3点にまとめてみた。

 1点目は、日本と中国の力関係や歴史だ。日本のGDPは世界4位だ。中国に抜かれたのは2010年、そして現在は4.5倍の開きがある。そして貿易額では中国が1番だ。米国ではない。日本中に中国製品があふれる、日本にとってなくてはならない国だ。

 古代からの関係に加え、日中戦争という辛い歴史もある。日本は中国国土に侵攻したが、中国はしていない。そして現在、日本人は中国人が嫌いな人が多い。私の周りにもはっきりとそう言う人がいる。中国が社会主義?いや中国共産党の1党独裁支配から抜け出し、韓国のように自由主義を標榜する資本主義国になったら良い関係になるのか?今の韓国との関係を考えたら予想はできる。

 日本って他国やよそ者を嫌う島国根性の国なんだ。それなのに資源がないためもあって、グローバリズムの中で生きていくしかない国なんだ。じゃあどうする、やっぱり「和をもって尊しとなす」ではないか。平和外交!防衛費増額?米国に守ってもらうための日米安保、対等な関係をどの国とも築こう。

 中国だってもはや一国では成り立たないのだ。別に防衛力を否定するわけではないが、過剰な防衛力は必要ない。GDP比1%いないではないか?そもそも陸上戦力は・・・?それを改組して、災害救助隊をつくってはどうだろうか?国内はもちろん、海外にも支援できる組織だ。恩を売るというわけではないが、助けてもらった国を平気で侵略する国はそうはないだろう。

 2点目は、日本の学校に進出してくる中国の子どもたちだ。日本は「安・安・近」で総合評価でNO.1だ。

安い・・・円安でコスパがいい。物価もそう高くはない。ビザとりやすく、顔も似ているので目立たないうえに同じ漢字圏。

安全・・・犯罪が少ないので、安心して生活ができる。移民迫害も少ない

近い・・・上海から2時間

 中国では「中考分流」といって、高校受験でのコースわけが激しい。初等中学校を卒業した1600万人が中考(高校入試)で、高級中学校へ800万人、職業学校(卒業したら就職)へ530万人そして残りの約270万人が就職する。若者の失業率は16%だ。高級中学校の次が高考(統一大学入試)だ。大学・高専の卒業者は750万人、さらにその上の大学院は100万人。

 日本だとほぼ100%が高校に進学する。大学も入ろうと思えば誰でもはいれる。(日本の若者はそうまでして学びはしない。大学進学率は60%だ)驚いたのは、中国の大学卒業者は、ほとんどすべてが英語が話せる。そして、大学では教室の前から席が埋まっていく。求人倍率が高いから売り手市場だ。就職もある。嫌だとやめられる。

 そこへ中国から永住や留学の間にが押し寄せてきている。中国での「内巻」(消耗ばかり強いられる競争)に嫌気がさしてきているからだ。日本にくる中国の子たちは、幼稚園からの必死の勉強で日本語以外はほぼ満点が取れる力をつけてくるそうだ。大学からだと、日本語力も完璧にしてくる。3つのパターンがある。中学受験から参入、高校から進学、大学留学だ。日本の大学は入りやすい、中国の富裕層にはコスパがいい。日本の学校少子高齢化で喜んで受け入れている。なにしろ日本は、少子化が進んでいるのに学校数をそれほど減らしていないからだ。

 日本の有名校は、優秀で向学心旺盛な中国の子どもたちで溢れかえってくるだろう。日本はどうする。排除するか?どういう理由で?グローバル化が大切といっていないか?日本の子どもたちが競争で敗れるからか?それともなんとなく嫌なのでポピュリズムに走るか?

 それより中国の優秀な人材を活用したほうがいいと思う。ぬるま湯につかっている日本の子どもたちに喝を与えてくれるかもしれない。

 最後は、これからどうなる?どうしていくという問題だ。将来設計がないと迷走することになる。政府だけが考えることじゃない。

 まず、日本人は中国人が嫌いな傾向がある。それは、マナーが悪いということ。それには文化の違いがある。伝えなくてもわかるだろうというハイコンテクスト文化がある。「空気読めよ」という無言の圧力がある。特に東アジア人に対しては。韓国の人が年長者を大事にして、身内にさえ敬語を使うのを日本人は違和感を持つだろう。でも逆を考えたら、身内を大事にしない日本人!!!日本のルールをはっきり伝えよう。そのうえで彼らの文化も尊重しよう。同じ地球に生きる人として。

 優秀な中国からの技術者など優遇しよう。日本を活性化させてくれるはず。それを世界の人が見ていて、例えばインドからIT技術者がやってきてくれるかもしれない。交流が深まれば、インドと今以上の友好関係が結べるかもしれない。そのための受け入れ態勢を整備しよう。誰でもいいわけじゃない。日本は日本らしくもありたい。日本の若者を大切にしていきたい。

 中国との関係を整備しよう。「一つの中国論」「あいまい戦略」・・・日中共同宣言、台湾との国交断絶・・・論点整理

 中国も含めた海外からの外国人の受け入れ態勢を整備しよう。まずはハードルの高い日本語教育の充実。

 まとめである。もちろん国益ばかりを考えていてはだめだ。日本には「損して得取れ」「情けは人の為ならず」という諺がある。諺や四字熟語には中国から学んだものが多い。Socrates says,“I’m not a citizun of the world.”

多重迷走神経階層理論(ポリヴェーガル理論)を深堀

   多重迷走神経階層理論       20251121

 「ポリヴェーガル理論」について深堀したいと思う。これは「不登校を予防する学校・学級づくり」の講座ででてきた理論だ。残念ながら私が持っている有斐閣心理学辞典(2021年)にはまだ掲載されていない。

 しかし、不登校を考える仮説として有効ではないかと考えている。それで、講義の内容や複数の関連するサイト(主に、出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』以後、Wikipedia)をあたり、私が確からしいと思った記事を利用してまとめてみた。

 「ポリヴェーガル理論」(Polyvagal Theory=多重迷走神経階層理論)は、1994年に米国の神経科学者スティーブン・W・ポージェス博士によって提唱された、自律神経系の新しい理解の枠組みだ。「ポリ(poly)」は「複数の」、「ヴェーガル(vagal)」は「迷走神経の」という意味で、日本語に訳すと「多重迷走神経(階層)理論」となる。

 

 最初に断っておかないといけないことは、「まだ証明されてはいなく、一部の臨床医や患者の間では人気があるが、現在の社会神経科学では支持されていない。Wikipedia」ということだ。ということで、この仮説を以下の3点にまとめてみた。

 

 では、1点目は、今までの体調や感情制御の理論である。自律神経は、交感神経と副交感神経で構成される。より活性化した交感神経系(「闘争か逃走か」)と、健康、成長、回復をサポートする副交感神経系(「休息と消化」)がある。この二つの自律神経のバランスで体の調子や感情が保たれているとする。そして、自律神経は自分の意思とは関係なく、呼吸や心拍、消化など生命維持に不可欠な機能を自動的に制御している神経系だ。交感神経は活動時に優位になり、副交感神経は休息時に優位になる。そして、このバランスが崩れると様々な不調が現れる。だからよく「自律神経を整えよう」といわれるし、よく聞く病気に「自律神経失調症」があるが・・・。

 

自律神経系 autonomic nervous system 

  生体の循環・呼吸・消化・体温調節などのホメオスタシスを担う機能は自律神経系により調節されており,交感神経系と副交感神経系により構成される。心臓,肺,胃腸などは交感神経と副交感神経の二重支配を受けているが,大部分の血管,汗腺,瞳孔散大筋などは交感神経のみ,瞳孔括約筋は副交感神経のみの支配を受けている。一般的に,二重支配を受けている器官での交感神経と副交感神経の作用は相反的で,これを拮抗支配とよぶ。[有斐閣 現代心理学辞典]

 

交感神経系 sympathetic nervous system 

 内臓を含め身体内部の諸器官の働きを制御している自律神経系の1つ。典型的には闘争-逃走状況など、危急事態において活動性が高まる。交感神経系の節前線維は脊髄のうち胸髄・腰髄に起始し,交感神経節は脊柱の左右に柱状に配列し交感神経幹をなす。交感神経節後線維からはノルアドレナリンが放出され(アドレナリン作動性),心拍数増加と心収縮力の増大,血管では一般に収縮を生じ,胃腸管では運動を抑制する。一方,汗腺を支配する交感神経節後線維ではアセチルコリンが放出され(コリン作動性),汗腺活動を促す。また,交感神経系の賦活は副腎髄質に作用し,血中にアドレナリン,ノルアドレナリンが分泌される。交感神経系の作用は拡散的で,全身のすべての部位に影響し,いったん活性化すると,しばらく持続する。 [有斐閣 現代心理学辞典]

 

副交感神経系 parasympathetic nervous system 

 交感神経系とともに自律神経系を構成し,リラックス時に優位に働く。副交感神経系の節前線維は脳幹および脊髄の最下部の仙髄に起始し,効果器の壁内や近傍にある神経節で節後ニューロンに連絡し効果器を支配する。脳幹に起始する節前線維は脳神経(動眼神経,顔面神経,舌咽神経,迷走神経)を,仙髄に起始する節前線維は骨盤神経を経由して効果器に投射する。副交感神経節後線維からアセチルコリンが放出され,眼の縮瞳や涙腺・唾液腺の分泌,胃腸管機能の促進,心拍数減少と心収縮力低下,男性性器勃起などを生じる。副交感神経系の作用は局所的で,持続時間も比較的短い。

        [有斐閣 現代心理学辞典]

 

 

自律神経失調症 autonomic dystonia 

 定義や概念については多くの考え方があり,また正式な病名ではない。一般的に,不安感や気分の落ち込みを認め,自律神経系(交感神経系および副交感神経系)に関連したさまざまな種類の自覚症状(動悸,ほてり,下痢など)があるのに,検査をしても異常がみつからないときに自律神経失調症と診断されることが多い(検査をしても異常がみつからない点,つまり明らかな身体疾患が認められない点が,心身症とは異なる)。さまざまな訴えが不定愁訴とみなされ,本来なら別の病名がつくはずのものを,安易に自律神経失調症と診断づけることも残念ながら少なくない。国際疾病分類第10版(ICD-10)では,身体化障害,身体表現性自律神経機能不全,全般性不安障害,混合性不安抑うつ障害などが,自律神経失調症に相当する概念であると考えられている。まずは正式な病名による適切な診断をつけ,その診断に応じて心理的支援を含めた適切な介入を行う必要がある。[有斐閣 現代心理学辞典]

 

 2点目は、ポリヴェーガル理論で指摘されている第三のタイプの神経系反応としての「社会的かかわり反応」である。

 進化のレベルでは、爬虫類の段階の副交感神経。危険が迫ると「死んだんふり」つまり固まり、何もできない反応。進化した哺乳類では、「戦う(闘争)か逃げる(逃走)」の積極的反応になる。

 これを子どもの行動に当てはめてみる。過覚醒の交感神経優位の状態だと、過敏、怒り、混乱、逃げ出す、戦い、自分はだめだという、心理的視野狭窄・・・等何らかの激し行動を起こす。この段階で、効果がないと低覚醒の副交感神経優位の状態になる。すると、恥ずかしい、知らない、できない、うなだれる、ボーっとする、ぼんやり、崩壊感、惨めな自分・・・等何もできなくなってしまい、ここにいても心ここにあらずの状態になる。

 ちょっと待った!!じゃあ、教室で楽しく、集中して継続的に努力を重ねて、自分の有能感を高めていくこの存在はどうなんだと。そうなんだ、生存のために重要な交感神経と副交感神経をコントロールして、最適な覚醒状態にとどまらせるための社会的神経系を人間は発達させてきたとするのが、ポリヴェーガル理論である。

 それによると、副交感神経系は「腹側迷走神経系」と「背側迷走神経系」という、2つの異なる枝に分かれているとする。一方は社会的関わりをサポートする「腹側迷走神経系」である。もう一方は「背側迷走神経系」で、「休息と消化」そして「防御的不動化」または「シャットダウン」の両方の不動化行動をサポートする。つまり、低覚醒の「固まる」作用である。

 

 3点目は、ポリヴェーガル理論を、子どもの行動に当てはめてみるということである。

  ふだん、前向きに楽しく生活を送れている子がいる。 継続的な努力をし、自分でなかなか頑張ってるなーっていう自己有用感を高めている。また人間関係も良くて、健全な社会生活を送れている。その状態を「社会関わり反応」ができているといい、耐性領域(最適な覚醒領域)腹側迷走神経が使われている。

 その平穏な毎日に何か問題が発生すると、耐性領域が大きければその範囲で処理できる。問題が大きかったり、耐性領域が狭かったりすると、過覚醒の状態になり交感神経の「闘争・闘争反応」起きる。耐性領域を大きくすることが大切なのは理解できるだろう。そのためにできることをあげてみた。もっとあったら教えてほしい。人間の基礎だ。

①経験を積む。いろんなことをやってみて、失敗したり成功したり・・・乗り越えたり

②読書して、作家の考えを学ぶ。人の体験を知る

③日記やメモに感じたことや考えたことを書きまとめる

④人と話す 真剣にでもふざけてでも軽くでも・・・

⑤教えてもらう

⑥人間観察 自分以外の人がどう動いているのか、どう考えているのか?

⑦学習する 自分の見方を広げたり深めたり 

⑧自信をつける

 学校ってそれができる最適の場だ!!

 

 さらにストレスがかかると、低覚醒状態になり、背側迷走神経の「固まる」という反応が起きる。上で書いたがもう一度言うと、恥ずかしい、知らない、できない、うなだれる、ボーっとする、ぼんやり、崩壊感、惨めな自分・・・等何もできなくなってしまい、ここにいても心ここにあらずの状態になる。

 低覚醒状態になった子は、危険な状態なんだ。不登校になったり、引きこもったりする予備軍だ。まずは、安心感と心を温めるケアが必要だ。

 じゃあこの状態にならないようにするためには

①家庭が安心感が持てる場になる

②自分の居場所を築く

③好きなことをする

④楽しいことをする

⑤ストレスをかけすぎない

⑥早めに休む、逃げる 天国へではない 現世でだ

⑦戦う いろいろな手段を知っていることは大切 裁判でも 弁護士でも

⑧助けを求める

⑨嫌なこと辛いことはしない 避ける

 

 まとめ、ポリヴェーガル理論はなんとなく納得できる。ネットにも文献にも新しい理論としてもてはやされている。これから学んでいくといいが、まず今までに確かめられてきた基礎理論を学ぶのが先か?その先にポリヴェーガル理論があるって感じかな???

「孤独病~寂しい日本人の正体~片田珠美(集英社新書2015)」を読んで考えたことを以下の4点にまとめてみた。

 外国で家庭でパーティーなんてやっている と聞くと、日本はそういうものはない。いや昔は冠婚葬祭・お祭り等々、いろんな機会に地域の人が集まって、ワイワイやったこともあったことを思い出す。私のうちだってたくさんの食器があったり、大きなお鍋があったりした。父親のいとこかいなんて26人も来た。すべては過去のことだ。なんか地域の付き合いで疲れる。そういうことがなくなった代わりにポツンと孤独が残った 新たに コミュニティを作らなきゃいけない時代になったんだ。また一人になったことを幸いに、自分と向き合うことをしていくことも意味があると思うことも。これからの人生どうするか そういうことを考えるうえでも 孤独を考えることは意味があると思う。

 

 1点目は、第1章 「孤独病」の時代 から

 「『「孤独病』は旧いコミュニティーを捨てた代償」(19)とされていて、「現代人の孤独感を生み出して出した、大きな要因は、資本主義の発達に伴うライフスタイルの変化によって、地縁や血縁が希薄になったことだろう」とある。もう一つは、「自分が社会を構成するただのパーツにすぎないという思い」だ。 そう孤独は今の時代が生んだ現象なのだ。

 その孤独をいやしてくれるのが、SNS等のネット空間だ。ネットによってくすぶっている欲求不満や罪悪感がガス抜きされる。仮想空間で、ネッ友と交流できる。しかし、不祥事に対する「ネット内のバッシングはものすごい」「そこに人を貶めて相対的に自分を上げようとする欲望が見え隠れしている」 「現実世界では今一つ報われなかったり孤独だったりする心が、束の間満たされた気分になるのだ」「だが、そうやって人が嫌がることを散々吐き出してそれで幸せになれるのだろうか?」と筆者は言う。 「ますます負の感情を増幅させ、時にはそれを現実の世界で発散させてしまう人が少なくない」

 まとめとして、「新たな悪を次々と生み出し、孤独病を一掃し悪化させる。私たちが生きているこの匿名社会にはそのようなリスクもあることを認識しておく必要があるだろう」とある。時代に流されず、自分や自分たちはどう生きていくべきであるかを考えるときに来ているんじゃないか。私のように大勢でワイワイやることが苦手なものにも、優しい社会ができるといい。

 

 2点目は、第2章 「孤独病」の構造 から

 「孤独は、自我を持つ人間であれば避けることができない宿命なのだ」でも、集団で生きる野生動物にもありそうだ。孤独は集団生活から生まれたのではないかな?考えれば考えるほど孤独は深まる。「現実にやることがいろいろあった方が、あれこれをも言わずにすんでいいのではないだろうか?」 という筆者の指摘には首肯できる点がある。でも、忙しくしていて、ふっと孤独やむなしさを感じることもある。

 p65に注目すべき指摘があった。「孤独をひたすら深くさせる程の強い自己愛を持ったタイプの人 」が増えてきた理由の答えとして4点あげられている。その中の2点を紹介する。

 一つ目は家族の問題だ。「家族で兄弟が少ない環境で育つと、他者への想像力が養われず、その結果自分にばかり関心が向かうことになりやすい。」

 二つ目は、私も日ごろから考えていることである「教育の現場などで、能力は皆平等にあって頑張りさえすれば必ず夢や目標が実現するという、悪しき平等主義がはびこっていることだ。つまり誰にでも大きな潜在能力があり、それをうまく開発しさえすれば可能性は無限だという、万能感幻想のようなものが漂っている。自分がすごいんだという万能感は当然ながら自己愛を強く後押しする。」

 教育で養われる『万能感』・・・可能性は無限大、やってできないことはない、潜在能力は無限だ、君には無限の可能性がある・・・よく使われる言葉だ。しかし、「才能を正確に理解していれば、本当は万能感などででてきようがないはずだ。いかなる才能も有限なのだから。」スポーツや芸術は自分に才能がないことが分かりやすい。「ところが勉強に関しては、大きな幻想を抱いている人が多いように思う。勉強はやればできると親や先生からよく言われたものだ。」

 アメリカの心理学者ガードナーの多重知能理論によれば、①言語的知能,②論理・数学的知能,③空間的知能,④音楽的知能,⑤身体・運動的知能,⑥個人内知能,⑦対人的知能という7つの知能が区別されるという。[有斐閣 現代心理学辞典]自分の適性や能力を正しく把握して、キャリアを考えることは重要である。

 自分の夢や目標に向かっている過程では孤独病は起こりにくいのではないかと私は考える。だから何でもいい、社会に巻き込まれよう。年とっても働こう。趣味のつながりをもとう。近所の人と話そう!!

 

 3点目は、第3章 人を「孤独病」に追い込む思考習慣 から

 日本では社会の同調圧力が以前にもまして、強まっている。「同調圧力が強まれば、何か人と違うことをするだけで、あの人は自分勝手でわがままだといった批判をされやすくなる。下手すれば、周りから孤立するかもしれない。そんな空気を先読みして、自分を守るために『いい人』を演じているだけの話で、個人主義が発達した欧米ではKYなんて言葉は流行らないだろう。」 空気を読まないように気をつけている私も、欧米に行ったらカルチャーショックを受けるのだろうか?

 日本の政治にも触れてあった。「日本国憲法をめぐる最近の新しい動きは、そんな隙をついて出たようにも見える。国の仕組みを大きく変えるほどの問題なのだから、本当はもっとさまざまな意見が大きな声で飛び交うのが当たり前なのに、日本人は非常におとなしい。あまりにもみんな『いい人』すぎる。同調圧力が強まっている社会は危うい。そんなことを今の日本は強く感じさせる。」『出る杭は打たれる』なんて諺もある。本当は違うのに『いい人』を演じる日本人、子どももそうじゃないかな。だから、それをはみ出す子がいじめられたり、不登校になったりするんだ。「『いい人』になろうと努力するくらいなら、その同じエネルギーで、嫌われることを恐れない人になる努力をした方がいい。それこそが自分の好きなことができる自由な道を開いていく方法なのである。」これはすべての悩んでいる人に私も言いたいことである。いや、自分にも!!『嫌われる勇気』をもとう。

 「『情けは人の為ならず』が孤独から人を救う。」という。「私は多くの人が実践すれば、この孤独社会における孤独の度合いが、いくらか弱まるのではないかと思っている。」私は、人のために働き、人を喜ばすことで自分が幸福になれると感じている。例えば今我が家の畑では、渋柿が取れるシーズンである。それを採って、ほしいという人に配っている。柿ちぎりは結構疲れるし、時間もかかる。それでも「ありがとう」と言ってもらえただけでうれしい。 そこで会話も生まれる。亡くなった母も人にあげるのが好きだった。それでいろいろな人から好かれていた。私も「〇〇ちゃんの息子さんのためなら」とか「〇〇さんには、よくしてもらいました」なんて言われてきた。(○〇は母の名前)人のためになることを一生懸命していた。私もその生き方を学べているだろうか。その母の思い出が私を孤独から遠ざけてくれている。

 「自己肯定感が強ければ孤独に陥らずにすむ」という。ストレッサーに対してストレスを感じる人とそうでない人がいることと同じだ。

 筆者は2011(H26)年の「子ども・若者白書」でデータをあげられている。2023年にあらためてみる。 「自分自身に満足しているか?」という問いに対して、日本はイエスと答えた割合が6カ国(日・米・英・独・仏・スウェーデン)中最も低く」とあり、日本は57.4%(2011年は、45.8%)である。米73.2、独74、仏75.7、ス72.3である。しかし、2018年と比べると、他の5か国は軒並み下がっているのに、日本だけは45.1%から上昇している。子ども家庭庁は、「我が国のこども・若者の約6割が、「自分自身に満足している」と感じており、こうした肯 定的な自己認識には改善が見られ、諸外国に比べると低さは見られるものの、その差は小さく なっている。」と分析している。しかし、「自国の将来は明るい」と思う我が国のこども・若者の割合は約2割にとどまる。2018年度と比べ、「暗い」と思うこども・若者の割合が、諸外国の中でも、比較的大きく増えている。(出典)こども家庭庁「我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査」(2023年度)

 「自己肯定感というのは2、 3歳の幼児の時期から子供の頃にかけて培われるものだ。 子どもの自己肯定感を形成する上で、最も大きな影響を及ぼすのはやはり親の育て方だ。一般に、叱られてばかりで厳しくしつけられた子どもは、自己肯定感を持ちにくい。」 私は、自己肯定感が若年時に形成されることには反対しないが、大人になっても伸ばしていけると考える。しかし、伸ばそうという強い思いと動機づけがないといけない。やっぱり、難しいか!! 

 孤独を生む自分の「思考のくせ」(自動思考?!)に留意せよ。

 

 4点目は、第5章 「孤独病」を癒す処方箋 から

 「引きこもりという奇妙な孤独」・・・「現在、国内で引きこもりと言われる人の数は、稀に外出する程度の人も含めると30万人を超えていると言われる」とある。

 今現在は、内閣府の2022年の調査によれば、「『生産年齢人口』にあたる15歳から64歳までの年齢層では、広い意味で「ひきこもり」と定義している「趣味の用事のときだけ外出する」や「自室からほとんど出ない」などの状態が6か月以上続いている人は、2%余りで、推計でおよそ146万人に上る」「年齢層別に見ると、15歳から39歳の子ども・若者層では、7年前に公表された調査の1.57%から2.05%に、40歳から64歳の中高年層では、4年前に公表された調査の1.45%から2.02%に増えている。」定義が変わったかもしれないが、引きこもりはもはや社会的に大きな問題だ。しかも、見えないところで進行しているステルス性があり、大変危険だ。

 「孤独の効用とは何か?」で「引きこもり、独居老人、独身、シングルマザー、不登校・・・これらはいずれもマイナスのイメージを持っているのは、みな孤独な状態にあるものだからだ。だが孤独は果たしてそんなに悪いことなのだろうか?人は一人で生まれてきて一人で死んでいく。孤独は多かれ少なかれ誰でも経験する。孤独は避けようとしても避けられない。むしろ必要以上に避けようとするからこそ悩むことになるかもしれない。」

 

 最後にまとめとして、「孤独病に陥らない生き方」を考えてみた。その前に「孤独病」とは、自分は孤独で価値がない、孤独で生きるのがつらい、という考えに陥ってしまう病的症状と考えてみた。孤独が悪いわけではない。こんなこと考えたり、やったりすればいいっていうリスト

 

  • 毎朝、その日1日でやることを書き出そう 日記をつけている
  • 家事をしよう ご飯づくり 洗濯 そうじ? 庭をはく 休みなく
  • 食事をおいしくいただこう 自分でつくった野菜も食べるぞ
  • 家族を大切にしよう 自分が考えて皆を幸福にする
  • 夢や目標をもとう そしてスモールステップで実現に近づけよう
  • 目的をもって勉強しよう(勉強は最高の趣味である)
  • 苦手なこともやろう 文系と思わず理系の勉強も
  • 資格を取ろう 励みになるぜ
  • 農作業をしよう 生産活動はいいぞ
  • たくさん採れたらおすそ分けをしよう 喜ばれるよ
  • 少しは働こう 週2~3回 社会とかかわろう
  • 違う仕事にパートでいいのでついてみよう
  • 隠居生活を楽しもう つまり引きこもる
  • ラインで少しだけ繋がろう SNSにも挑戦しよう
  • カフェで読書したり、モーニングを食べたり、勉強したり
  • スポーツをしよう スポーツクラブに入ろう(2つ入っているが)
  • 自然相手のスポーツを スキーなんか落下力だから楽だぜ
  • 日本中のスキー場に行こう できれば世界も スキーを教えたい???
  • ジムに行こう 持続可能な体力の維持 毎日筋トレ ストレッチ
  • 近所の同級生や隣人と語ろう たまには同窓会も
  • 将来のこともちょこっと考えよう 永遠の命はない
  • 人に少し頼ろう 頼りすぎない、寄りかからない 

    私は少しそうして支えてもらっているので、気をつけよう(大いに感謝しつつ) 

  • 社会貢献しよう 未来への投資をしよう 農園活動
  • 外国に住もう 外国語を学ぼう トイックや英検に挑戦
  • 新聞を読もう 社会とつながろう 自分の意見を書こう
  • 周りの人にあいさつをして、ちょこっと話しかけよう
  • 新しいことを始めよう 困っている子たちを助ける私塾をやろうと思っている
  • 読書しよう 生涯8000冊を目指して 
  • 政治に関心をもとう 未来のために
  • 投資もちょこっとして、経済の関心をもとうかな?
  • 長良川鉄道にのろう 守っていかないと 地元を大切に
  • 日本中を巡ろう できるかな 釣りや自転車・スキーを通して
  • いろいろな所へ釣りに行こう 
  • 自転車旅行に行こう  
  • 大学や大学院に行こう 学んだことを語り合いたい
  • 楽器を練習しよう 広場で一人で吹いて自己満足しよう
  • 困っている人を助けよう 日本語教師になって、日本に来た外国の人を助けよう
  • 忖度しないで、言いたいことを言おう 言い過ぎぐらいでちょうどいい
  • 論文を発表しよう 勉強したことをまとめていくだけでも
  • 小説や随筆、詩を書こう 日日雑感というノートに元を書き溜めている

 

「(多事奏論)『ふつう』という言葉 相手を傷つける無意識の刃 岡崎明子編集委員」を読んで

「(多事奏論)『ふつう』という言葉 相手を傷つける無意識の刃 岡崎明子編集委員」を読んで  2025年11月1日 朝日新聞朝刊    *記事は教科書体

 

 「ふつう」とは、多数派を占める健常者(一般の人)の言動と考えるとする。すると「特別」とは、「一般のものとは違うこと」と辞書にあるように、健常者ではない人の言動と考えられる。この前提でいいのか?私は、私たちは日頃「普通」について意識していない。しかし、ふつうしか見えない世界は危険だ。振り返れば、私の子どものころだった半世紀前は、ふつうの範囲が広かったような気がする。学校では、心臓が悪い子も、知的に問題がある子も、そして学校に寝泊まりして生徒と付き合うような先生もいた。体罰・暴言・廊下に立たせるなんて日所茶飯事だった。近所の小さな神社の片隅の廃品回収業者(ぼっこやと呼んでいた)、1年2回のつけで買う地元の商店・・・今なら変なことも「ふつう」だったように思う。いつからふつうの範囲が狭まったのだろうか?

 

 筆者も、娘さんの小さいころ、体が小さいことで悩んでいた時、周囲の人にぽろりと漏らすと「気のせいだよ」「大きくなったら食べるはず」と励まされた。でも、そのたびに傷ついた。「気のせいのレベルじゃない」「どれほど悩んでいるか知らないくせに」と。相手が私のことを思って言ってくれていることがわかっても「気休めの言葉をかけないで欲しい」としか思えなかった。

 このときの感情を久しぶりに思い出した。自閉スペクトラム症(ASD)と診断された女性の生きづらさを描いたデジタル版連載「『ふつう』になりたい ASD女性のカモフラージュ」(紙面は4日付朝刊から掲載)がきっかけだ。

 そうだ。誰も自分事として捉えないと、真剣に向き合いないのだ。他人事として「気にならないよ」「ふつうだよ」と平気で言ってしまう。以下、筆者の主張を4点に分けて考えた。

 

 1点目は、ASDの特性として、雑談が難しい、空気を読むのが苦手、特定のものに執着しがちといった側面がある。ASDの女性は男性に比べ、こうした特性を隠すカモフラージュ行動を取りがちだ。ということだ。ASDは全人口の1%で、男女比は4:1だ。少数派(マイノリティー)になる。

 背景には「よい子」や「女性らしさ」といったジェンダー規範があるとされる。ただ本来の自分を常に抑えこむことは精神的な負担となり、うつ病摂食障害といったメンタルの不調を来しやすい。

 特に女子は思春期になるとグループ行動が増え、人間関係の難易度も上がる。「明るく元気」なキャラをかぶったり、周りから浮かないようにおとなしく目立たない子になったり。「ふつう」に見せるために、偽りの自分を装う。

 神経発達症の子どもたちにとって、思春期は特に生きずらい。そうでなくても、異質なものを排除しようという学校力学が働く。「ふつう」の子たちにとっても、生きづらいのだ。それなのに、学校はどんどん子どもたちから離れていく。じゃどうするの?

 ①学校以外の居場所を量質ともに増やす。適応指導居室、フリースクール、放課後ディ・・・その指導力の確保

 ②SEL(Social and Emotional Learning 知識や技能といった認知能力ばかりでなく、興味関心、意欲、協調など、感情や心の動きに関する能力「非認知能力」もつけていこうとする教育)を位置づける。例えば、相手を立てつつ自己表現するアサーショントレーニング等を年間を通して、クラスの実態をアセスメントして、計画的に取り組んでいく。

 ③進路を広げる・キャリア教育を高める。高等教育を受けることにこだわらない。進路はいくつもあることを示していく。そのことにより、将来の展望をもてるようにする。

 ④学校の意識改革:「みんなと同じことができる」「言われたことを言われたとおりにできる」からの脱却。「様々な状況における『最適解』をその都度自力で、あるいは多様な他者と協働しながら生み出す学習形態」へ転換していく。

 ⑤教師がゆとりをもてるようにするとともに、SC等が相談に乗れる体制を築く。学習指導・学級経営と生徒指導の分担(問題が起こったときは、SCに相談、その後担任と協議、学級経営に反映していく) 

 ところでASDについて「ASDの特性として、雑談が難しい、空気を読むのが苦手、特定のものに執着しがちといった側面がある。」と説明されている。今回、心理学辞典を購入したので活用してみた。ネットの解説ももっともらしいが出典が明記されていないものが多すぎる。

 

自閉スペクトラム症自閉症スペクトラム障害 autism spectrum disorder;ASD

次の①と②の両方の存在または病歴で特徴づけられる神経発達症で,ASDと略記される。

 ①複数の状況でのコミュニケーションと対人的相互反応の持続的な支障(例:言葉の遅れ,字義通りの言語理解,抑揚のない発語,共感性の乏しさ,不適切な表情,アイコンタクトや身振りの異常,模倣遊びやごっこ遊びの少なさ,仲間への無関心)。

 ②行動,興味,活動の限定的・反復的な様式で,次の(a)~(d)に示される項目の2つ以上に合致すること。

(a)常同的・反復的な発語,動き,物の使用

  (例:エコラリア,常同行動,玩具を一列に並べる)

(b)同一性への固執,習慣へのこだわり,儀式的行動

  (例:道順や規則への固執,変化への拒否,儀式的な挨拶の習慣)

(c)極度に限定された興味

  (例:一般的でない物への没頭,一般的な物への極端な執着)

(d)感覚刺激への過敏さ,鈍感さ,刺激への熱中

  (例:特定の音や触感への過度な反応,痛みや熱さへの無頓着)

 DSM-5では,①と②および次の③~⑤をすべて満たすことで診断される。

③発達早期(典型的には生後12~24カ月)の発症,

④生活上の明確な支障,

⑤知的能力障害や全般的発達遅延では説明がつかないこと。

 また,①と②の重症度をおのおの3段階で特定し,知能の障害と,言語障害の有無や水準などを特定することも求められている。症状の個人差が大きく,重症度,生活年齢,発達段階などによって症状が大幅に変化することから,診断名にはスペクトラムという語が用いられている。         [有斐閣 現代心理学辞典]

 

 これだけ知っていて、ASDを筆者のように説明するといいかな。スペクトラムだからその子に実態に応じて考えないといけないな。その対応も含めて。

 

 

2点目は、そんな涙ぐましい努力を重ねているのに、「『ふつう』に見えるから大丈夫」と言われるたびに、悔しい気持ちになる――と異口同音に言われた。ということだ。

 「ふつう」に見せたいと頑張っているのに、なぜ「ふつう」と言われたくないのだろう? 最初はその葛藤の背後にある思いがくみ取れなかった。

 そんな疑問を当事者の一人にぶつけると、こんな答えが返ってきた。

 「当事者からすると、『ふつう』に見られたいのではなく、『ふつう』に見られないといじめられたり嫌われたりするので、やむを得ず『ふつう』のふりをしているという感覚です。『ふつうだから大丈夫』と言われたいのではなく、生きていくために『ふつう』に見えるように努力していることを、少しでも理解してもらえるとうれしい」

 大人になった私からみえれば、「ふつうにしなくても、見えなくてもいいよ」と気楽に思ってします。自分の思春期を忘れてしまったか?あの頃どうだった。葛藤や迷い、悩みはなかったか?

 

 3点目は、 この言葉を聞いて、ガーンと頭を殴られたような気がした。もし今回の取材がなければ、私も深く考えずに、発達障害の当事者に「ふつうに見える」と言ってしまったのではないかと。ということだ。

 この言葉の裏には、「ふつう」が望ましいという価値観があり、本人が深刻に悩んでいる気持ちに思い至らない未熟さがある。悪意がなくても、無意識の偏見や思い込みが出てしまう「マイクロアグレッション」の典型例ではないか。

 ここで、私には耳慣れない、「マイクロアングレッション」という言葉を検討したい。*有斐閣の心理学辞典には掲載されていない。学問的には問題があるという。

マイクロアグレッション(英語: Microaggression)とは、1970年アメリカの精神医学者であるチェスター・ピアス(英語版)によって提唱された 、意図的か否かにかかわらず、政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと 。出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

①無意識に行われる「見えない差別」

②その糸の有無にかかわらず、特定の人や集団に対する偏見から生まれる否定的な表現

例:「日本語、お上手ですね」「男は泣くものではない」

  「新入社員なのに、よく頑張っているね」

 ちなみに、「アンコンシャスバイアス=人が無意識に持っているバイアス」が、言葉や行動に現れたものがマイクロアングレッションとも考えられる。差別の1形態とも。

 マイクロアングレッションは、それを使う人に悪意がないことが多く、むしろ「善意」や「親しみ」から発せられることがあるため、より危険であるともいえる。

 そのことにより人間関係を微妙に悪くしたり、相手を知らない間に傷つけていることにある。やはり、「自分の言動が相手にどう受け取られているか」を常にフィードバックして、自分の無意識のうちにもってしまう偏見(固定概念)に気付くことが大切。

 

 4点目は、今回の取材のもう一つの気づきは、実はASDであることをカモフラージュしてきた友人に、これまでも接してきたのに気づかなかったのではという悔悟だ。ということだ。

 私の周りにもたくさんいるのではないか?レジを必死で打ちながらもなぜか要領の悪いあの人、何度も文書を間違えるマルチタスクが苦手というあの人、自分の身の回りが片付かず提出物がいつも遅れるあの人、一度学校へ来たら元気なのになかなか登校できないあの子・・・気付かないのは罪だ。気付かないふりをしているのは最悪だ。

 高校時代、元気で明るいキャラで通っていた彼女も、かたくなに気配を消していた彼女も。今思えば、「もしかして」と思い当たる節がたくさんある。

 言葉は時に刃(やいば)となる。「ふつう」という言葉に寄りかかりそうになったら、まずは一呼吸置いてみる。そして願わくは、選び直した言葉が、相手の心を温かくするものにできたらと思う。

 

 「ふつう」という言葉、よく考えたら、「ふつう」対「ふつうでない」の対立を生んでいないか。日本人:そうでない人、普通に暮らす人:犯罪者・・・と対立軸で考えることが問題なのか?これがポピュリズムのもとなのか???

素朴概念から教育を考える

       素朴概念から教育を考える

 最初に質問だ。

  • 種が芽を出すときに何が必要だと考えますか。必要なもの全てをあげよ。

   ㋐日光 ㋑水 ㋒土 ㋓適当な温度 ㋔空気 ㋕肥料 

  • ブランコを大きく揺らしたときと、小さく揺らしたとき、どちらが1往復する時間

   が短いでしょうか?

   ㋐大きく揺らしたとき ㋑小さく揺らしたとき ㋒どちらも同じ時間

  • 「地球は丸い」ということを分かったように言う小学生に、いじわるせよ。
  • 水を沸騰させるときに出てくる泡は、何ですか?
  • ボールを上に投げた時、空中のボールには上向きの力が働く。

   本当か?空気抵抗はなしとする。

(6)おまけ:鉛筆と消しゴムはセットで110円します。鉛筆は消しゴムより100円高いです。

     消しゴムはいくらですか?(ダニエル・カーネマン先生の問題を日本的に直した)

(7)ポケモンの「キャタピートランセルバタフリー」は進化か?

 いやあ、すみません。(5)~(6)はおまけだ。今回は「素朴理論(概念)」について理解を深め、学習支援に活用しようという学びだ。素朴理論は、「誤概念」「前概念」「子どもの科学」「preconception(先入観・予想・偏見)」ともいう。

 

 子どもや初学者が学習を始める前から持っていたり、はじめてから持ったりする主として自然現象に関する誤った知識や考え。それは、成長・発達していく過程で、身の回りの観察を通して自然に獲得してきた知識体系である。科学理論(概念)とは矛盾するが、体験的に確からしさをもっているため、科学理論を受け入れる妨げになることがある。

素朴理論は、理科の学習の妨げになることが往々にしてある。しかし、それを逆手にとって素朴理論を探り、それを修正する学習も行われている。今回は、素朴理論の原因を分析してみたい。

 

 一つ目は、日常生活で経験する感覚的な印象だ。(5)では、上向きの力は働いていない。下向きの力(重力)だけが働いている。もちろん投げた瞬間には力が働いている。宇宙空間でボールを投げた場合を考えてみよう。もし力が働き続けるなら、スピードは速くなってしまう。ということで、鉛直投げ上げ運動の場合は、重力加速度が働いているんだ。そしてそれは常に下向きだ。これを等加速度直線運動というらしい。おまけだ。

 真上に向けて初速度30m/sで物体を投げた。(重さは関係ないよ。もちろん、重さによって初速30m/sにする力は違ってくる。空気抵抗もなしとする)重力加速度は10m/s2(sの2乗)とする。(高校生なら皆出来るはず・・・私はできん)

 ①物体は何秒後に最高点に達するか?  3秒後 6秒後 12秒後

 ②投げた点から最高点までの高さは?  45m 90m 135m

 ③物体が投げた点に、再び戻るまでの時間は何秒か? 6秒後 10秒後 20秒後

 高校で習ったはずだが、大学生でも結構間違える。上に力が働き続けているから、上昇していると思うのだ。ロケットの発射を見たからかな?それほど、素朴理論は強力なのだ。

 

 二つ目は、科学的に時代遅れになっている普段の日常会話だ。例えば、「日が昇る」「月が出たでた、月が出た♪」知識としては、地動説かもしれないが、普段の言葉や感覚は天動説のまま。だって、どう見たって地面は平面だし、止まっている。だから、ボールは転がらない。そもそも地球が球体で、太陽の周りを回っているという知識自体が必要ない。また、(4)の「水を沸騰させるときに出てくる泡」辞書によれば、泡とは「液体が空気を包んでできた玉。あぶく。」とある。この文脈からだと「空気」が正解になってしまう。常に言葉を吟味すべきか、日常と科学理論は違うことを意識すべきか?この場合、球体に近い形状の(*)の塊といえばいいのか??

 

 三つめは、社会環境からの学習だ。人とのコミュニケーションのなかで断片的に仕入れた知識、テレビやSNS、ネットから流れる情報も必ずしも正しいとは限らない。先日も、知り合いが「発達障がいは、大人になってもなる」ってテレビでやっていたといっていた。「テレビが間違うことない」ともいわれる。また、「自殺したいという人は、自殺しない。」という根拠のない自説。これをあちこちで話せば、確からしいとして広がる。SNSがもてはやされる現在では、もはや、素朴ではない危険な理論だ。

 

 四つめは、人間の脳の特性だ。脳は、バイアスがかかりやすい。例えば、確証バイアス。これは、自分の既存の信念や仮説を支持する情報のみに注目し、それに反する情報を無視する傾向だ。認識バイアスは、以前に経験した事物や情報を新しいものよりも優れていると認識する傾向。このバイアスにより、過去の成功体験が新しい情報やアイデアよりも優先され、変化に対する抵抗の原因となることがある。認知的慣性は、一度形成された信念や考え方を変更するのに抵抗がある現象だ。新しい情報や証拠が提示されても、既存の認識やフレームワークを維持しようとする傾向がある。

 

 五つ目は、科学理論を教える教育そのものが、素朴理論を生んでいるということ。(3)だと、どうやって「地球は丸くて、太陽の周りをまわっている」を素朴理論を修正して、理解させられるか。伝えたいことが正しく伝わっているか?子どももだが、そもそも教師も(1)(2)に正しく答えられるのか。(1)児童正答率は32%、教師は77%、(2)64%、8%である。自分も素朴理論にとらわれながら科学理論を教えられるのか?学んだと思った後で、素朴理論を強化したことにならないのか?

 

 素朴理論を意識して、日々の教育実践にあたるために留意することは以下の5点だ。

①「日常生活で経験する感覚的な印象」を大切にしつつ、その見方を修正できる科学的な根拠を持たせること。素朴理論は、かなり強固であり、その修正にはかなりの手間がかかると思っておく。それが教師のやりがいである。

②普段の日常会話に気を付けること。例えば、「日が沈んだ」と言ったら、「そうみえるよね。どうしてそう感じるのかな?」と切り替えしてみてはどうだろうか。教師との会話は最高の教育活動である。

③人口に膾炙した理論をもっともらしく受け取ることがある。それはそれで悪いことではない。でも、はてな?と思ったことは、自分で調べたり、確認したりするという態度を身につけさせる。教師自身が、日頃からそういう姿勢を子どもたちに見せていくこと。生成AIに聞いて、ハイ終わりではいけない。

④脳の認知的特性を意識して、指導に当たることだ。どんなバイアスがかかっていて、それを修正するためにどうすればいいかを考えることも大切だ。もちろん教師にもかかっている。いつも自分を振り返っていくことだ。そのために教育理論(科学理論)を常に更新していかないといけない。過去の成功体験はもはや素朴理論かもしれない。

⑤教師自身が、素朴理論にとらわれているかもしれないということを念頭に置くこと。当然、子どもたちはもっととらわれている。それを修正するためにどういう学習過程を仕組めばいいかを練り上げること。

 

 素朴理論は、「主として自然現象に関する誤った知識や考え」ではあるが、日常の生活や教育実践にも役立つと思う。自分の今までの考えをバージョンアップしたり、ブラッシュアップしたりすることが楽しいとなるといい。それが学び続けられる原動力である。私も、「鉛直投げ上げ運動」調べてみて、物理学に興味を持った。新しい挑戦へのきっかけができたわけだ。子どもたちにも視野を広げてほしいし、一つのことを深めてもほしいと願う。

 

                                                  2025年10月30日