芥川龍之介全集を読み始める

12月2日付朝日新聞天声人語)「アダム・スミスと家事」に以下の文があった。

芥川龍之介の短編に「メンスラ・ゾイリ」という不思議な器械が出てくる。小説をのせると、その価値を測れるという。自身の作品を酷評された物書きは、ばかばかしくなって言う。

「しかし、その測定器の評価が、確かだと云う事は、どうしてきめるのです」

 前半は、「経済学は、家事や育児を軽視してきたのではないか、という問いだ」

 しかし、私はこの文を読んで、さっそく芥川龍之介氏の全集第1巻を借りてきた。55の短編があるので1日ひとつで約2か月、全集は12巻だそうで、2年半で読める計算だ。

 待てよ、川端康成全集も読みかけじゃないか、「森の生活」も、「善の研究」も?「ファスト&スロー」のノートまとめも!

 読むべき本が山積している。本が「読んでくれろ」と待っている。幸せな気分だ。部屋で本を読んでいれば幸せだ。私のコスパは最高だ。ワハハハ。

 

この世界の向こうで

朝目が覚める ウェークアップ 

静かだ 夜明け前の静寂に包まれた 漆黒の時

朝のルーティーン コーヒーを沸かす 

ポコポコという かすかな音

琥珀の液体とその香りが部屋いっぱいに広がる

静かだ 物音ひとつしない

私以外の人は何をしているのかな

地球に生きる仲間として 繋がっている この世界で 

戦禍に追われている人たち

病気や飢えで苦しんでいる人たち

追い詰められた人たち

自ら死のうとしている人たち

人生に希望を見いだせない人たち

明日の生活費に困っている人たち

私以外の存在を、容易には想像できない

そんな遠くでなくても 身近な世界で 私が知らないだけで

苦しんでいる人はいるはずだ 想像してみよう

私にできることは何か わたしには何ができるか

夜明け前の静かな時に じっと考えた

今日も私ができる小さなことをする

その小さな積み重ねが、明日につながることを信じて

同じように考えている仲間を想像して

今日も私ができる小さなことをする

 

 

「押し」とは?

 「押し」がね、とクラスの男の子の話を「尊い」といって話してくれる女の子。「押し活」という言葉も。誰かを応援することは自分に力をもらえる。だから、プロ野球やサッカーの応援は、盛り上がっているんだ。

 私には、理解できない感覚だと思っていた。所詮他人事だ。ところが、ユーチューブでかつてのフォークソングを聴いていた。その関連で韓国で歌っている「東亜樹」さんや「住田愛子」さんの動画をみた。韓国で歌で勝負している若者だ。うまい、しかも日本の懐メロも歌っている。昭和生まれとしては感慨深い。

 韓国で、輝いている彼女たちの成長を見守る。自分のことのように熱くなる、それが「押し」というものかは、なんとなくわかった。

 しかし、私は私を「押し」たい、応援したい。毎日3時間勉強している私!筋トレしている私!いまだに就活(終活ではない)している私!ハーフマラソン走り切った私!がんばれ!未来に生きろ!君ならできる!!

ふるさとの自然の美しさ(1)朝焼け

「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな」石川啄木

 1月6日の朝焼けである。これは、一体どこで撮ったものだろうか?

 これを修正しているのは、2024年12月19日だ。

 おそらく、揖斐高原スキー場に、急ぐ朝に撮ったものだろう。

 今は無きスキー場  リフト係の人 売店も 食堂も  

 そして ゲレンデには 人がいた  それなりに活気があった

 全ては「過ぎ去って、再び帰らぬ日々」だ。

 母がクリスマスの日に突然亡くなってもうすぐ2年になる。

 

 昔の思い出は時間とともに薄れていく

 近くに合った国見岳スキー場も 長者平スキー場も

 みんな心の中の奥底に仕舞われていくのだろう

 あの時できた仲間と、時々思い出を語る

母のことも時々話題にする ふとした瞬間に、思い出す

草むしりに精を出していた母 人を喜ばせることが好きだった母

上から落とした柿をナイスキャッチした母

私の心の中に母は今も生きている

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