武士の娘 を読んで

  杉本 鉞子(すぎもと えつこ ) 大石美代訳の大正末期出版の英語による著書『A Daughter of the Samurai(武士の娘)』を読み終えた。私が読んだ日本語版には、ないが 原作には次のような副題があるそうです。

How a daughter of feudal Japan, living hundreds of years in one generation, became a modern American  

( 如何にして封建日本の娘が、一身にして二世を経るが如くにして、 近代的米婦人となりしか )
 私が心に残ったことは、

 縮れ毛を叔母にわらわれたことで「大人あまり考えなくても、子どもの心に受ける打撃は誠に深いものでございます。」(p27)という箇所。「赤毛のアン」に似たような記述がある。「ある叔母が、『かわいそうになんて色が黒くて不器量なんでしょう。』といったのを聞いたのである。マリラは50のこの日になるまで、そのときの胸の痛みを忘れることができなかった。」(茅野美ど里訳)である。昔も今も、日本もアメリカも人としての心は変わらない。


 姥捨て山の言い伝えのこと 学校まで二里の道を歩いて通ったこと(一里は人間が歩いて1時間の距離≒4km) おじぎのこと アメリカへ行って日本のことを質問されてみて返って日本のことをよく勉強するようになったこと 日本に帰って娘たちが日本語を話せなかったこと(今でいう帰国子女の受け入れ問題)
 

 寒稽古の学ぶ態度のこと 

 英語で書かれていたそうだが 寒稽古の一節はよく引用されている。その中で、Confuciusという言葉があった 固有名詞なので調べてみると 「孔子」である。さらに、 Analects 論語(The Analects of Confucius.論語)こんな例文もあった。論語には「君子は争う所なし。Rongo Analects described, 'a wise man doesn't participate in shooting contests.' 私が訳すと 『論語には、「賢い人は殴り合いには参加しない」と書いてある』になる。中国語「子曰、君子無所爭」
 全文はこうだ。子曰、君子無所爭。必也射乎。揖讓而升下。而飮。其爭也君子。(子の曰わく、君子は争う所なし。必ずや射か。揖讓して升り下り、而して飲ましむ。其の争いは君子なり。)(先生がおっしゃった。君子は争うところがない。あえて争う場面といえば、礼にかなった弓争いだ。礼をつくして譲り合い、堂を登って弓を射て、射終わったら堂を下り、勝ったほうが負けたほうに酒を飲ませる。その争いぶりは、まさに君子だ。)*揖讓 「揖」は左右の手を胸の前であわせること。軽い礼。「譲」は譲る。・・・この言葉は日本語にはないと思う 損譲

“Little Miss,it is evident that your mental attitude today is not suited for study.You should retire to your room and meditate.”
「お嬢様、そんな気持ちで勉強はできません。お部屋に引き取って、お考えになられた方がよいと存じます。」大岩美代訳
 お嬢様、あなたの心構えでは、今日勉強を続けられません。部屋にもどって、よく考えられた方がいいと思います。(私訳)

 

 同時代の作品に、「華麗なるギャツビー」(フィッツジェラルド)「代表的日本人」(内村鑑三)武士道(新渡戸稲蔵)がある。読んでるが、再読してみたい。

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