「安売り王一代(安田隆夫)」を読んで(3)人材育成

 ドン・キホーテとは、スベインの文豪・セルバンテスの名作であり、主人公の名でもある。痩せ馬にまたがる主人公が、理想に燃え、風車に向かって突進するその様は、空想的かつ無鉄砲な「英雄」の象徴でもある。
 私も、流通業界という巨大な「風車」を相手に、既成の権威や常識を打ち破りながら、たとえ孤軍奮闘でも自らの理想のもと突き進んでいこう……気負った青臭い表現で、自分でも照れてしまうが、本気でそう思っていたのは事実である。(P66)

 私は従業員に噛んで含めるように圧縮陳列を説明したが、やはり理解してくれない。言葉で説明することを諦めた私は、従業員の前で実際にそれをやって見せ、手取り足取り、マンツーマンで必死に教えた。
 でも、できない。いくらやらせても、私の言う圧縮陳列とは似て非なる、単に雑多な商品の山積み陳列にしかならないのだ。
 私にはまったく理解できなかった。これだけ教えているのに、なぜ私にできることが従業員にはできないのか。なにもサーカスの荒業や曲芸を仕込もうというのではない。たかが商品の陳列ではないか。しまいには「そろいも揃って、こいつらアホか」とさえ思った。
 しかし「アホ」なのは逆に私の方だった。私のやっていたことは、巨人軍の長嶋(終身名誉)監督が高校球児を相手に、「ボールをキッと睨みつけ、ググッと引き寄せてから、こうしてビュンと振りぬくんだ。どうしてできないの?」と言っているようなものだったからである。(P72)

  そこで、指導方針を変える。権限委譲である。信頼してまかせる。そのための規準も明確である。参考になる

 

・明確な勝敗基準(勝ち負けがはっきりしないゲームはゲームではない)
・タイムリミット(必ず一足の時間内に終わらなければそもそもゲームにならない)
・最小限のルールルールが多くて複雑なゲームは分かりにくくて面白くない)
・大幅な自由裁量権(周0から□を出されるゲームほどヤル気が失せるものはない)

 

 信頼は「信じて頼む」と書く。たとえば、「君を信じている。頼むよ」と言われるのと、「ちゃんとやっておけよ」と一方的に命令されるのとでは、人が動かされる力に、天と地ほどの開きが出るだろう。
 人は信じて頼まれれば、意気に感じてやるものである。そうした性善説に基づく経営をすれば、自然と信頼の輪が生まれる。(p82)

 そもそも払は、人材育成とか教育といった「上から目線」の言葉が大嫌いだ。だいたい「上司に育成されたい!」などと本気で思っている若者なんているわけがない。少なくともドンキには1人もいないだろう。いずれにせよ、「人は育てるものではなく、自ら育つもの」という考え方が、権限委譲の前提になっている。
 従って「育てる」より、まずは人を「信じて頼む」こと。すなわち当社が最も重視するキーワードは、「育成」ではなく「信頼」である。そうして、自己育成の場を整備し、機会とチャンスを与え続ける……それが私の人材開発における基本姿勢だ。(P156)

「安売り王一代(安田隆夫)」を読んで(4)主語は「自分」ではなく「相手」に置け P200
目から鱗が落ちる」という喩えがある。何かがきっかけになって急に物事の実態がよく見え、理解できるようになることだ。
 私も自らの商売と経営の行き詰まりを通じて、目から何枚も鱗を落とし、そのつど発想の転換を図って自分を改めた。中でも最大のそれは、「相手の立場になって考え、行動する」ということである。「なんだ、そんな月並みなことか」
 だから仕事やビジネスでは、常に主語は「自分」ではなく「相手」に置くべきだ。すなわち「主語を転換せよ」というのが、私の中でも最大級の体験的成功法則である。
 いわゆる、お客様本位 というところか。安田さんは、かんたんそうで実はこれが難しい。本当にと書いている。けだし名言である。相手が読めれば・・・と言っても完全ではないが・・・敵を知り己を知れば百戦殆うからず だろう。


*『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。
原典では「殆うからず」だが、「危うからず」と書いても誤りではない。