終戦75年 いやはっきり言うと敗戦

終戦75年 いやはっきり言うと敗戦


 今、ミサイル攻撃からの抑止力で、相手のミサイル基地の攻撃をどうするかが議論されている。また、自衛力の増強も護衛艦いずもの空母化も、最新鋭戦闘機の購入も進められている。仮想敵国を北朝鮮、中国(昔はソ連)とするのかもしれないが、本当に自衛や抑止の考え方は正しいのだろうか。
 振り返って、太平洋戦争開戦前の日本の自衛力や抑止力はどうだったのだろうか。日本は自国が攻められる危機に直面していたのだろうか。太平洋戦争の原因と共に考えてみよう。

 まず、泥沼化した日中戦争。これは、他国を侵略しているわけだから、やめようと思えばやめられたはず。大陸は日本の領土ではないので、撤退しますと。速やかに和平交渉に入る。日本主導で進められるはずだ。
 次に、日独伊三国同盟は脱退。もちろん連合国にも加わらない。傷病兵などの人道支援に専念する。平和中立国家をめざす。当時の日本の力なら可能だ。
 3番目に、日ソ中立条約、これは守ろう。北方領土問題も起きなかったはずだ。第二次世界大戦も速やかに終わったはずだ。
 4番目に、傀儡満州国からは撤退、もしくは共存を図る。中国人の自治にまかせる。日本人は支援に当たる。いわゆる住まわせてもらう程度にする。
 5番目に、日米交渉の四原則(「全ての国家の領土保全と主権尊重」「他国に対する内政不干渉」「通商上の機会均等を含む平等原則」「平和的手段により変更される場合を除き太平洋の現状維持」)を受け入れること。現在なら当たり前の原則だ。ここで交渉を進めていれば、11月26日の中国大陸・インドシナからの軍、警察力の撤退や日独伊三国同盟の否定などの条件を含む交渉案、いわゆるハル・ノートの提示はなかった。
 6番目に、資源確保の問題だ。石油禁輸をはじめとする経済封鎖で、石油備蓄が2年分となった。こここそが交渉だ。日本は貿易を軸として発展しないと成り立たない国だ。資源の安定的な確保は絶対必要だ。
 7番目に、軍部の独走だ。これには世論やひとりひとりの国民の意識が大切だ。軍隊で戦うのは国民だからだ。それが意志なき者、ただ従う者と見なされてきたことに問題がある。香港の問題は対岸の火事ではない。

 そもそも、軍事力が強大で日本をせめようなんて国はなかったと考える。日本:米国:英国で、戦艦・巡洋戦艦11:9:2 空母8:6:0で、圧倒的な自衛力を誇る。また、島国である日本を攻めるための強大な海軍力や海上輸送力を持つ国は、アメリカ以外ない。駆逐艦129:80 潜水艦67:56 の圧倒的な海軍力で日本領海を守ることができる。

 太平洋戦争全般にわたる基本方針となる日本の戦争計画書「対英米蘭蒋戦争 終末促進に関する腹案」では、「東南アジア南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域ならびに主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整う」とし、戦争の終わらせ方については「独伊と提携して先ず英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む」としていたそうだ。自給自足ができない日本の現実は認識されていた。また、アメリカの力も掴んでいた。

 まとめてみると、国を守るのは、国民の高い政治意識・政治道徳になると考える。日本国憲法前文に「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とうたわれている。もちろん私の意見は当時の時代背景を無視した暴論とうつるだろう。そういう時代だったんだ。しかたがなかったんだ。しかし、それで多くの国民や諸外国の人が死んでいったのも仕方がないというのだろうか。日本で戦後といえば75年間のことをいう。アメリカでは、そうではない。平和ぼけ?!いいんじゃない。でも、考え続けよう。思考停止はだめだよ。

ふと、これからを考えた

手書きの遺言、法務局で保管へ 7月10日から (朝日新聞 20200628)
 手書きの自筆証書遺言を法務局へ預けられる制度が7月に始まる。これまでは自宅などで自ら保管しなければならず、紛失や改ざんの恐れがあった。昨年は戦後最多の138万人が亡くなるなど相続が大量に起きる時代に入っており、遺言の使い勝手をよくして遺族間の紛争を減らすねらい。という記事があった。

 遺言は終活の一つである。もちろんいつ死ぬか分からない。そして、全ての人が必ず死ぬのだ。そのために今を精一杯生きるのだ。それは頭では分かっている。

 わが国では、年間138万人が亡くなる!!「今年国内で生まれた日本人の子供の数(出生数)は昨年の91万8400人(確定数)を下回り、86万4千人と過去最少を更新し、初めて90万人を割る見通しとなった。死亡者数から出生数を差し引いた人口の自然減は過去最大の51万2千人で、13年連続で人口が減るのが確実となった。」人口が増えるということは、国力が高まるということとつながっている。実際わが国は過去増え続けてきた。
 しかし、年間50万人が減る。しかも、そのスピードが加速しているとなると・・・単純に考えても 10年で500万人!20年で1000万人 総務省統計局の予想だと 令和37年(2055年)9,744万人と1億人を切る 私が生きているとしたら94歳 日本国の破滅への音を聞きながら・・・となってしまう!

 今できることは、なんだろう。若い才能を伸ばしていくことかな!そして、子どもを育てやすい国にしていくことかな?
 まとめにしては情けないが、コロナ対策で経済が不透明になっている。ある程度の蓄えと自給自足体勢があるといいかな!お米を作ろうかな?野菜かな 肉かな 鶏を飼う→たまごをとる 電気の自給・・・災害対策 備えあれば憂いなし

親になるとは、許されることを学ぶこと

 朝日新聞6月13日の朝刊の「折々のことば:鷲田清一」に「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。(三砂〈みさご〉ちづる)」という言葉があった。その解説に、親はよくまちがう。よかれと思ってしたことが子どもを傷つけた、痛めつけていたと悔やむことが本当によくある。だから欠点だらけの「私」を許してほしいと祈るような思いでいると、保健学者は言う。子どもから許しを得ることで、自分の親も「まちがいだらけで欠点だらけのただの男と女だった」と許せるようになると。『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』から。
 いつもいつも子どもの前で、親として正しくなければいけないと気をはっている必要はないと私も思う。とはいいつつ、「でも」「だって」といわれると腹が立つ。自分が間違えるかもしれないという存在だと考えて、子どもの言葉に耳を傾けられる大人でありたい。
 もう一つ、自分は間違えないという傲慢不遜な人はお付き合いを遠慮したいが、こういう人こそ世の中を変えていける人ともいえる。織田信長やナポレオンなど、自分の戦いの犠牲になる人たちのことを考えたら、あれほどの戦争はできないはずだ。それができてしまう。その自分の目標にまっしぐら、真似できないが、そういう人も世の中には必要だろう。反対に、周りに気遣いすぎて疲れてしまう。それでも困る。
 人としてのバランスが大切だと思う。それも、地域や歴史や風土によって若干違ってくるとは思うが・・・今いる日本の価値観が絶対というものではない。

絶賛 ダイエット中!成果報告

前回こう書いた。 そこで一念発起で4月からダイエット開始!していることは、

(1)活動力計を買って、1日1万歩以上動く・・1万5000歩はいっている 

(2)朝晩の体重を記録する・・・・・・・・・・完璧だ

(3)自転車通勤片道5.8km 月間100Km以上走行・・・やめた

(4)卓球やスポーツを毎日少しでもする・・・火曜日 バドミントン

(5)食事の量を少しだけ減らす。特に晩ご飯にお米は食べない。しかもはやい

  時間に食べる・・・・・・・・OK

(6)おやつは食べない。間食はしない・・・OK

(6)1週間に5日はジョギング 合計10km

    ・・・雨の日はしないが 1日4km

(7)動画を見るときは、バランスボールに乗る・・・OK

(8)筋肉体操をする 特にスクワット・・・毎日種目を変えて実施

4月からの3か月で、4.9kg減量。体脂肪も10台、内臓脂肪も減った

まだまだ、お腹周りの皮はたるんでいてみっともないが、慌てない慌てない!!筋トレと有酸素運動しながら、しまった身体をめざす。なんのため、これからを楽しむために!!朗報 はけなかったズボンがはけた しかし、太ももがぱんぱんに

 最後に、ダイエットは始めたら続けないといけない 目標値まで来たら、維持し続けなければならない・・・そのための筋トレだ!リバウンドしたら、もう脳に焼き付いてしまう それがホメオスタシスだ!だから、無理して、食事制限しないこと!太ることより、恐ろしいのは リバウンドだ!!

トルコってどんな国?世界文化遺産『アヤソフィア』って?

   トルコってどんな国???世界文化遺産アヤソフィア
「宗教対立、揺れる融合の象徴 世界文化遺産アヤソフィア』」を朝日朝刊で読んで考えた。記事の概要は以下の通り
 東西の文化が融合するトルコ最大の都市イスタンブール。その象徴とも言える歴史的建造物アヤソフィアをめぐり、トルコと隣国ギリシャが対立を深めている。建立から約1500年、キリスト教会、イスラム教モスク、無宗教の博物館と性格を変えてきたが、再びモスクに戻す動きが波紋を呼ぶ。
 アヤソフィアは文明の攻防の歴史そのものだ。建造はビザンツ帝国時代の537年。現代のギリシャ人の多くが信仰するギリシャ正教の総本山と位置づけられた。1453年、オスマン帝国が街を征服するとモスクに改修された。
 オスマン帝国が第1次大戦で敗れた後、新たに生まれたトルコ共和国は、イスラム教を後進性の象徴とみなし、厳格な政教分離に基づく世俗主義を導入。「建国の父」ケマル・アタチュルクは1935年、アヤソフィアをモスクから無宗教の博物館に変えた。
 そんなトルコが近年、変節したとギリシャはいぶかる。親イスラム政党を率いるエルドアン大統領は昨年3月、「我々はアヤソフィアをモスクと呼ぶことになる」と発言。経済が低迷し、目前に迫る統一地方選で政権与党の苦戦が予想される中、支持基盤のイスラム保守層にアピールする狙いがあったとみられる。
 もともとトルコとギリシャの関係は緊張をはらむ。・・・以下略

 トルコというと、昨年和歌山県の串本の潮岬で見た「海難」のセットでみた、エルトゥールル号遭難事件を思い出す。また、トルコ帽、オスマントルコエルドアン大統領、久保田早紀の異邦人、飛んでイスタンブール 庄野真代・・・・・砂漠の国か?バザール・・・たいして感心のある国ではない。この記事では、ギリシアとの関係?近い国だったのか!ちょっと関心が出てきたので、今日は少し調べてみようと思う。

 まず、正式国名「トルコ共和国」英語表記は「Republic of Turkey」大統領を国民がえらぶ民主主義国だと考えられる。しかし、大統領が独裁者という国もあるので、更なる学習が必要である。東西に長く位置としては、ヨーロッパとアジアをつなぐ場所にあり、ギリシアエーゲ海をはさんで向かい合っているだけでなく、国境も接している。面積は約78万㎢(日本の2倍以上)、人口8200万人、GDP国内総生産)は、7700億ドル(19位 日本5兆8800億ドル3位 日本の13% ちなみに中国は日本の2倍)比較で見ると日本は大国ではあるが・・・いろいろ重大な問題が発生してきている。今後の学習課題である。ここまで見ていくと、トルコは、そんなに悪くない国である。トルコは、人口の99%以上がムスリムイスラム教徒)だそうだ。しかし、強制しているわけではなく身分証明書にも宗教の記載はないということだ。ちなみにギリシアは、ウィキペデアよりと主たる宗教は、キリスト教正教会に属するアテネ大主教の管掌下にあるギリシャ正教会だそうだ。

 次に「領土をめぐっての対立」である。隣国のギリシャとの関係(ウィキペデアより)は、緊張関係が続いている。古くはギリシャ人国家であった東ローマ帝国が現在のトルコにあたる地域を支配していたが、やがてオスマン帝国がそれを滅ぼし支配下に置いた。その後、19世紀初頭に列強の後押しでギリシャが独立し、「大ギリシャ主義」を掲げて衰退の進むオスマン帝国からの領土奪回を目論んだ。バルカン戦争、第1次世界大戦後に領土をめぐる希土戦争が起こり、ギリシャとトルコの住民交換で解決された。領土をめぐって、骨肉の争いが繰り広げられてきたのだ。そうそう仲良くできるものではないのかもしれない。

 さて、その影響を受けたのが、今回の「宗教対立、揺れる融合の象徴 世界文化遺産アヤソフィア』」である。イスタンブルという街の変遷を象徴する建物だそうで、トルコギリシアの争いの歴史を物語っている。
(1)532年に起こった「ニカの反乱」によって焼失した2代目アヤソフィア聖堂を、537年ビザンツ帝国ユスティニアヌス1世が再建したもの。ビザンツ建築と美術の粋を集めた聖堂は、ギリシャ正教の総本山として信仰を集めた。
(2)1453年、オスマン帝国コンスタンティノープルを征服すると、都はイスタンブルと改名され、アヤソフィアイスラム教のモスクとして改修された。
(3)約500年続いたモスクとしての歴史に終止符が打たれたのは、20世紀になってから。1923年にトルコ共和国が成立すると、初代大統領ケマル・アタチュルクの命により無宗教の博物館になることが発表された。これが宗教を強制しない世俗主義というものだそうだ。
(4)ここにきて、モスクとすると宣言・・・??!!

 ビザンツ美術とイスラム美術が混在する博物館である「アヤソフィア」、イスタンブルという都市の変遷を語る代弁者として、今後も政争の具とされないことを願いつつ・・・。いつかはいってみたいものだとも思う。

f:id:yokogurumaosizo:20200615060359j:plain



東大入試問題 私の解答 迷答 

 モンゴル帝国は、東アジアからヨーロッパにまたがるユーラシア大陸の大部分を支配下におさめた大帝国である。その結果、人・モノ・カネ・情報がさかんに行きかうようになった、まさに「モンゴル時代」である。

 経済面では、帝国内の物資の輸送を活発にするために各地にジャムチと呼ばれる駅伝が設置された。また、モンゴル帝国は、貿易を発展させる政策を積極的にとった。その結果、ダウ船を使って行われていたアラビア商人のインド洋商業圏・東方貿易を行ったイタリア商人の貿易、そして中華圏・さらに日本の博多で行われた日元貿易へとつながる広大な貿易圏が形成された。

 文化の面でも、交流が盛んになった。元の染付磁器がヨーロッパや日本の陶芸にも影響を与えた。また、天文学が発展したイスラム圏のイスラム暦の影響を受けて、元では授時暦が作成された。また、モンテ=コルヴィノが元にキリスト教を広めた。元の都である大都は、仏教・イスラム教・キリスト教などさまざま文化が花開く、国際都市ともなった。

 しかし、交易が盛んになり、人や物の行き来が活発になるにつれて、病気の伝染も広範囲なものになった。中央アジアで発生したペスト(黒死病はヨーロッパで大流行し多くの人が亡くなった。経済力を高めるためには、貿易は必要不可欠である。そのため流行病の伝染も急速で広範囲なものになる。スペイン風邪、そして現在の新型コロナウイルスの大流行などそれは、昔も今も変わりはしない。

                       (以上603字)

 東大生恐るべし!!ちなみに私が出た大学以外で出入りした大学ランキングで1位は京大 そして2位は東大 である たぶん

東大の伝染病にも関わった入試問題に挑戦

 新型コロナウイルスの大流行で、ステイ・ホームの毎日だが、新聞で伝染病に関する東大の問題を知った。私も一応大学の経済学部を出ているので入試問題ぐらいと思ったが・・・甘かった。モンゴル帝国を築いたチンギスハーンや日本侵攻を行ったフビライハーンは知っているが・・・東方貿易が広がって文化や産業が発達したこと、人の交流によってペストが広まったこと 北里柴三郎ペスト菌を発見!(赤痢菌は志賀潔だっけ・・・野口英世よりすごいじゃないか!!でも、ドラマがないからかな!と手の手術をして医者をめざした感動!!だからだとある人が言っていた なるほど)遊牧民族を統一したチンギスハーンがモンゴル帝国をつくった。(1206年 これは知らない)
 このぐらいの知識と見識ではこの問題に満足のいく答えは出せない・・・東大は落ちるな確実に!いや、今の学力では、大学合格できない・・・もしかしたら高校も??!

 

<問> 東京大学2015年度前期・世界史問題(一部改題)
 13~14世紀を「モンゴル時代」ととらえる見方が提唱されている。「大航海時代」に先立つこの時代に、モンゴル帝国ユーラシア大陸の大半を統合したことによって、人・モノ・カネ・情報がさかんに行きかうようになったことを重視した考え方である。この時代に、東は日本列島から西はヨーロッパにいたる広域において見られた交流の諸相について、経済的および文化的(宗教含む)側面に焦点を当てて、以下の8つの語句を1度は用いて論じなさい。
 

ジャムチ 授時暦 染付(染付磁器) ダウ船 東方貿易 博多 ペスト(黒死病) モンテ=コルヴィノ

 ちょっとインチキして言葉調べ
①ジャムチ  モンゴル帝国および元帝国の駅伝。
②授時暦  1280年、中国元代の郭守敬が作製した太陰太陽暦。(イスラム暦を参考にして)日本の貞享暦のもとにもなった。
③染付(染付磁器)  白地の素地に酸化コバルト を用いて下絵付けを施し,さらにガラス質の透明釉をかけて焼き,文様を藍色に発色させた陶磁器の日本における呼称。元代から始り,主要な陶磁技法として発展し,朝鮮,日本,東洋諸国,ヨーロッパの陶芸にも大きな影響を与えた。
④ダウ船   紅海、アラビア海、インド洋で活躍したアラビア商人が使っていた大型の木造帆船。ダウ交易圏とも言うべきインド洋商業圏が形成されていた。
⑤東方貿易 地中海を通じて行なわれたイタリア諸都市と東方諸地域との交易。
⑥博多 日元貿易の拠点 
⑦ペスト(黒死病) 
⑧モンテ=コルヴィノ  中国最初のカトリック布教者

 

次回は、私の解答を